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ジュエリーのシワ展

こんにちは!おすすめのラーメン屋「篠はら」の限定ラーメンが食べられてご満悦な、ジュエリーデザイナーのMASAKIです。

 

麺処 篠はら 限定ラーメン20180124

【限定ラーメン】

 

麺処 篠はら 限定丼ぶり 20180124

【限定丼ぶり】

 


今回の限定ラーメンはちょっと濃いめで牡蠣のだしが効いた醤油ラーメン!

そばの香りも良くて美味しかったぁ~。

 

次の限定ラーメンも期待ですね♪

 

【 麺処 篠はら 】

https://twitter.com/mendokoroshino

 

 

さて、今日は先日見に行った『ジュエリーのシワ展』について!

 

ジュエリーのシワ展は、僕の母校「ヒコ・みづのジュエリーカレッジ」の教員であり、

世界的に活躍されているジュエリー作家 嶺脇美貴子先生(=通称 ミネちゃん)が年一回企画開催している展示会です。

(ミネちゃんは作品が国立近代美術館に所蔵されるほど活躍されている作家です)

 

 

今回の展示は母校の校内にあるギャラリー『HOLE IN THE WALL』で開催。

 

学生時代、僕はほとんどミネちゃんとかかわる機会が無かったのですが、

『 O-Jewel 』・『 C& 』をディレクションされている大地千登勢さんのおかげで、ミネちゃんとお話するようになりました♪

(僕にっとって大地さんとの出会いは大きく、ジュエリーの考え方を変えるきっかけになった人です。この事については、また別の機会にお話しますね!)

 

そして、今回の展示も僕にとって奥の深いものでした。

HeaNectを立ち上げてから、以前にも増してジュエリーについて深く考える事が多く、その一つの答えが、今回の展示に示されている気がしました。

 

以下、ジュエリーのシワ展より抜粋。

(少々長くなりますが、お読み頂けましたら幸いです。)

 

「ジュエリーについて私が考えるいくつかのこと」秋山真樹子

ジュエリーとはつくづく不思議なものだと思う。基本はなんの役にも立たないくせに持ち主にくっついてどこにでもついて回り、どの国のどの文化にも何かしらの装身具が存在する。いろんな人がそれぞれに意味や思いを込めることができる。あなたにとってジュエリーとはどんなものだろうか?

 

私にとってのジュエリーとは、なんだかんだ言っても些細でとるにたらないものだ、この文章を読んでくださる方は、きっと多少なりともジュエリーに関心をお持ちのはずだから、この答えにがっかりされてしまうかもしれない。でも考えてみてほしい、人間て、空を飛ぶ乗り物を作って何千キロも先まで移動して、高層ビルをがんがん建てて、何万人もの同胞をいっぺんに殺せる兵器を作っちゃうような生き物だ。そんなのに比べたら、ジュエリーも、ジュエリーを身につけるという行為も、うんとささやかなものでしかない。それなのに、人は、手のひらにおさまるほどのジュエリーひとつに自分の思いを託しては、一喜一憂したり、振り回されたりしている。それって冷静に見ればかなり滑稽ではないだろうか。

 

だが、その滑稽さの事情をたぐれば、人は弱くて頼りなくて、自分たちもそれをどこかで知っているから、自分よりもうんと大きくて立派なものに自分の思いを托したり、感情移入したりできないということなのだと思う。そう思うと、些細でとるに足りないことこそ装身具の本領なのかもしれない。そうゆうものだからこそ、意地汚さや欲望や、虚栄や残酷さや俗っぽさから、願いや祈りや愛情や高尚さまで、せわしなく千変万化する人間の感情や気質を受け止めてくれる。だからきっとないと困るのだ、たとえば、自分はこれだけ稼いだんだぞ、という自慢の道具にジュエリーを使う人もいれば、ファッションとして楽しむ人もいて、美術品だと考える人もいる。歴史や文化や信仰を読み取ることだってできる。大切な誰かに受け継いでもらってもいい。これはジュエリーがになう役割のほんの一部だ。そしてそのなかには決してほめられない役向きもあるし、ジュエリーひとつのために、人が人をかんたんに殺せてしまうほど、ジュエリーは業が深い。

 

それでも、ジュエリーを身につける根っこの根っこにある思いは、きれいな花が咲いていたら、ふと髪や指に添えたくなってしまう、そんな素朴な気持ちなんじゃないかと思う。どんなに欲やエゴに満ちた理由でジュエリーを身につける人の心にも、針の先ほどでわずかでいいからそんな気持ちが残っていてほしい。これには異論があるのは承知の上で、私はそう信じたい。人間なんてほんとうはかわいいものなのだ、と、そして、万にひとつ愚かで卑小な人の心に宝石に勝る綺羅星があるとすれば、こんな小さなものにしか思いを託せない、ささやかないじらしさに違いがないのだ、と。そういうことを考えるにつけ、私が装身具越しに見ているのはいつだって人なのだということに思い至る。そして、人の醜さも善良さもまだまだ見てみたいと思う限り、ジュエリーについて考え、書き続けていくのだと思う。

 

「ジュエリーについて私が考えるいくつかのこと」

秋山真樹子

 


僕自身ジュエリーのデザインを考える時、素材を人に見立てて特長をつかみデザインすることが多く、

また身につけた人にどうなってもらいたいかを考えながら作っています。

 

結局のところ、秋山さんの文にあったように、ジュエリーを通して僕が見ているのは『人』なのかもしれないと、気が付かせてくれたように思いました。

 

まだまだ、ジュエリーについて思うことはいっぱいあるのですが、長くなりそうなので今回はこの辺にしておきますね。

また良かったらお付き合いくださいませ!

 

見た目の割に意外と大食いジュエリーデザイナーのMASAKIでした。